![]() |
与次郎ヶ浜(よじろうがはま)の碑・塩田跡の碑(所在地:与次郎一丁目 浜橋たもと)荒田川にかかる浜橋のあたりは、古くから塩田が広がっていたところです。天保山中学校から海に向って、荒田川左岸には古田、浜塩田、右岸には上ノ浜塩田がありました。天保年間に塩づくりをしていた荒田村の平田与次郎は、藩の命令により赤穂(兵庫県)の塩田を視察し、その後、今の与次郎ヶ浜一帯に約十万平方メートルにおよぶ新しい塩田を開き、1843年(天保14年)から塩づくりを始めました。この与次郎ヶ浜も、昭和40年から始まった鹿児島開発事業団の水搬送工法による埋め立てにより、現在の県立運動公園をはじめ商店街や高層建築の住宅が立ち並んでいます。 |