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【佳 作】
池田学園池田小学校  6年  鈴 恵里加 さん

「ありがたい」

 いつも当たり前のように食べている白ご飯。この白ご飯には、農家の方々の汗と苦労がぎっしりつまっている。たくさんの方々の思いでみんなが元気になる。

 わたしが五年生の時、田植えの体験学習があった。このとき初めて、田植えの難しさと大変さを実感した。田植機を使わず、すべて手作業で行った。最初の三十分は、友だちとわいわい言いながら、楽しく作業することができた。しかし、それからが大変な思いをすることになる。腰を深く「くの字」に曲げる。太陽の光が体に照りつけて、背中は鉄板のように熱くなった。シャツも汗でびっしょりだ。途中で投げ出したくなる気持ちをおさえて、何とか最後まで作業を行った。田植えを終え、緑に広がったたんぼを見るのは気持ちがよかったが、腰の痛さと日焼けでぐったりしたことをよく覚えている。

 十月。これまでの五ヶ月間、農家の方々がお世話してくださった苗は、大きく成長し、緑色がうす茶色になっていた。実を付けた稲穂はたおれそうなくらい、頭を垂れていた。その一つ一つをかまを使ってかり取る。この作業も田植えと同じように大変だった。足をふんばり、腰を曲げる。稲の根を持ち、かまをひく。一回でスパッと刈ることができず、何度も何度も力を入れる。わたしはこうした作業になれていないため、一つの稲を刈るのにかなり時間をとったような気がする。やっとの思いで刈り取ったが、まわりを見ると、まだまだ稲は残っている。わたしは正直うんざりした。

 そんなとき、わたしのおばあちゃんの顔がパッと頭にうかんだ。おばあちゃんもいろいろな作物をつくっている。その中にお米もある。おばあちゃんはこんな大変な思いをして、お米を作っているんだと思ったら、なんだか自分が情けなくなってきた。おばあちゃんが苦労して作ったお米をわたしは当たり前のように食べていた。そう、なにも考えず、「ご飯があるのは当たり前」と思っていた。学校で食べるご飯も残すことがあった。お米を作ってくださる方々に申し訳ない気持ちになった。

 田植えや稲刈りを体験したことによって、お米に対する考え方が変わった。今のわたしは、一つぶも残さず、ご飯を食べている。それは、お米のありがたみを考えるようになったからだ。そのありがたみに気づいたことでご飯の味も変わった。とてもあまく感じるのだ。一つぶ一つぶにこめられた大切な命。わたしたちはそれをいただいて、生きている。外国には食べものがなく、困っている人たちもいる。それにくらべ、わたしたちはめぐまれている。目の前にあるわたしたちの命を支えてくれる小さな命。たくさんの方々の思いのこもった命。これからも大切にいただきたい。