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【JA県中央会長賞】
鹿児島市立福平小学校  6年  坂口 大夢 さん

「ごはん・お米とわたし」

 祖母から小包が届いた。段ボールがふくらみ、中にたくさんの新米が入っていた。新しいお米がとれると、いつも一番に送ってくれる。
「ばあちゃんの新しいお米だよ。」
と言って出された朝ごはんは、いつもよりつやつやでふっくらしていた。
「おう、やっぱりちがうな。」
と言いながら父が食べていた。ぼくには、そのちがいがあまりわからなかった。それは、いつも何も考えず食べているからかもしれない。

 五年生の時勉強した米作りは、たくさんの人が協力しながら大型機械を使っていた。そして、収かくしたお米は、いつでもおいしく食べられるように保管していた。米作りで大変なことは、たくさんの費用と労働力が必要なことだ。その上、人間の力ではどうすることもできない気候の中で作ることだ。

 祖母は一人暮らし。米作りで使う機械は一台もない。親戚の学じいちゃんと彰おじちゃんが中心になって機械を動かす。田おこしをするトラクター、田植機、コンバイン、かんそう機などたくさん持っている。学じいちゃんは、八十才をこえる祖母の一番上の兄だ。田んぼの周りの草かりや苗を植えてからの草取り、そして、水の管理のほとんどは祖母が一人でする。田植えやいねかりの時は七十才をこえる祖母のお姉ちゃん達が助けてくれるらしい。
「いつまで作れるかなあ。」
とよく言っているらしい。ぼくが田んぼで一日働いたら、暑いしつかれるしたおれそうだ。でも、みんなすごい。年をとっても、ぼくたちに米を送るために働いてくれる。ありがとうという気持ちになる。

 種子島は、南の島でよく台風が来る。風が強いといねがたおれる。大雨になると田んぼの土がやわらかくなってコンバインが入らなくなる。そして、仕事がますますおくれてしまう。今年は、大雨で二日おくれたそうだ。そのおくれを取りもどすために、知り合いのおじちゃんがコンバインを持ってきて二台でいねかりをしたそうだ。きっと祖母は、ほっとしたと思う。

 祖母の家では、収かくしてかんそうさせた米をかんの中に入れる。入り口は、ぼくのせよりも高くて一袋ずつ持ち上げないと入らない。何十俵もある一年分の米を直径は一メートル以上ある三つのかんに入れる。祖母にとっては、かなりの重労働だ。必要なときに必要な分をだして、精米する。そして一年間三けんの家に送り続けてくれる。祖母の食べる量は、ほんのわずかだ。

 ぼくのうちに届く米は、たくさんの人の助けをかりておいしいお米になっている。だから、感謝する気持ちを手伝いに変えて伝えていこうと思う。