アメリカやフランスはパン。イギリスはじゃがいも。ナイジェリアやカメルーンは、とうもろこし。そして、日本の主食は勿論「米」しかし、最近日本人はめん類や、パン類を好む人が増え、昔ほど米を食べなくなり、現在では、生産量の方が、消費量を上回るようになっている。と、本で読んだことがある。
僕は当然のこと、我が家は家族全員白ご飯が大好きである。ご飯にみそ汁さえあれば、おかずはいらないくらいだ。実は、僕たちがこんなにもおいしいお米を毎日毎日食べることが出きるのは、祖父母のおかげなのだ。祖父母は、毎年たくさんの米を作っている。僕の住んでいる指宿市周辺の水田は、早期米が多いため、ちょうど夏休みに米刈り、米取りが行われる。毎年、お盆前になると、僕たち家族は長そで長ズボンに帽子をかぶり軍手を着けて、田んぼへと出かける。八月の暑さは、まるで肌にささるような痛さだ。立っているだけで滝のような汗が流れてくる。そんな日中の猛烈な暑さをさけるため、まだ日が昇らず、外は暗く、静まりかえっている早朝の四時頃がら、手伝いに出かける。朝の田んぼは、風が冷たくて、とても気持ちが良く、昼間の田んぼとは、まるで様子が違う。僕の仕事は、祖父の刈った米を竹馬に干していく作業だ。日が昇るまでに、少しでもたくさんの仕事をしなければと、みんな必死で体を動かしている。周りが少しずつ明るくなり始めると、日が昇るのはあっという間だ。次第にあちこちで、セミが鳴き始め、世間がにぎやかになっていく。冷たかった風は、暑い空気に変わり、太陽は、ようしゃなく僕たちを照りつける。もう少し、もう少しだけ頑張ろう、という思いで十時頃をめどに、区切りをつける。その頃には、暑さに体力をうばわれクタクタである。日中の最も暑い時間帯は、休養を取って、昼過ぎ頃から再開するのだ。僕は、米を収かくする時だけしか手伝いをしないが、祖父は四月から田んぼを耕し、水をはって田植えの準備に取りかかる。田植えが終わると、稲に虫はついていないか、病気にならないか、水の具合はどうかなどと、毎日米の状態を見ている。稲に実がつく頃になると、すずめが群がってくるため、予防網を張ったりと管理しながらおいしいお米を作っている。
「じいちゃんは、自分の子供を育てるみたいに、米に一生けん命だよね。」
と祖母が言った。その時僕は聞いてみた。
「なんで米を作っているの。」
「ばあちゃんの小さい頃は、貧ぼうであまり米がなくて、主食は、いも、あわ、麦だったんだよ。だからばあちゃんのお母さんが米を植え始めたんだよ。」
と、教えてくれた。
僕たちは、いつも当たり前のように「米」を口にしている。給食にきらいなものが出た時などは、平気で減らしたり、残したりしている。お米にしても、野菜にしても、心を込めて、一つ一つ大切に育ててくれたものだ。僕たちは感謝し、そのことをを決して忘れては、ならない。
きっとぼく自身も、祖父母の手伝いをしなければ、米の作り方、大変さ、一粒一粒のありがたさ、そして、米のおいしさは、分からなかったと思う。これから先も祖父母が米を作り続ける間、僕はずっとずっと手伝っていこうと思う。
今年も、収かくが終わると真っ先に新米を食べることができる。一粒一粒がピカピカ光っていて、口に入れると、新米のにおいがして、もちもちしている。祖父母の作ったお米は格別だ。
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